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寒天の歴史

寒天

寒天は天草などの紅藻類に属する海藻の煮こごりを凍結乾燥し脱水させたもの。
およそ350年の歴史をもち、日本で生まれた健康食品です。

寒天はこうやって生まれた

凍結乾燥

寒天の創案者は、徳川時代に現代の京都伏見で旅宿を営んでいた「美濃屋太郎左衛門(みのやたろうざえもん)」と伝えられています。

外に捨てた「ところてん」が真冬の寒さで夜のうちに凍結し、日中に解凍され水分が抜けて干物になり、その変わりように興味を持った美濃屋太郎左衛門が、これを煮て冷ましてみたところ、ところてん独特の臭みがない、透明な塊ができました。

のちに「ところてんの乾物」と名付けて旅宿のお客に出すようになり、珍味を食べさせるという噂が広まったことがきっかけとなり、多くの人に知られるようになりました。

寒天の名づけ親

黄檗山萬福寺

寒天の名づけ親は、黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)を創設した隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師と伝えられています。萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院です。

ある時、隠元隆琦禅師の一行が美濃屋に泊まった際に「ところてんの乾物」を食べたところ、精進料理として賞賛された美濃屋太郎左衛門。同時に名前を尋ねられたが、まだ名前が決まっていなかった「ところてんの乾物」。"寒天"と名付けてみてはどうかと勧められ、寒天という名前を付けたといわれています。

諏訪地方での寒天製造の始まり

黄檗山萬福寺

徳川時代に茅野市玉川穴山の小林粂左衛門(こばやしくめざえもん)という人が、関西方面に出稼ぎに出向いた際に寒天製造を知り、気候や気象などが諏訪地方と共通していることと、冬の農家の副業に適していると考え、2年ほど雇われて、住み込みながら寒天の製法を身に付けたあと、郷里玉川穴山にて寒天製造を始めたのが始まりといわれています。

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